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【アラベスク】  第13章 夢と希望と未来



第4節 初雪 [5]




「もうとっくに起きているわ」
「ご朝食をお持ちいたしました」
 言いながらおずおずと入ってくる女性に、華恩は小さく頷く。
「いいわ、持ってきてちょうだい」
 笑みまで浮かべている年下の主人。女性は一瞬呆気に取られ、だがすぐに一礼してワゴンを押す。そうしてテキパキと準備をしながら、ここ数日では珍しいくらいに機嫌の良い華恩の態度に、心の底から安堵した。
 本当に珍しい。こんなに清々しい朝を迎えるのは幾日ぶりの事だろうか?
 ずっと、あの男に悩まされ続けてきた。いつか仕返ししてやりたい。腹いせに何か反撃しなければ気が済まない。ずっとそう思ってきた。
 ふと視線を向ける。窓の外に小さな花びら。
 花びら?
 怪訝に首を傾げる華恩の視線を追って、女性があぁと声を出す。
「降ってきましたね」
 お寒いですか? もう一枚羽織りますか? と甲斐甲斐しく声をかけてくる女性の声を断る。
 なぜだろう? 外は凍えるほど寒いのに、身体は火照るように熱い。
 ざまぁみろ。
 華恩は声をあげて笑いたくなった。
 せいぜい恥を晒すがいい。





 雪、かぁ。
 美鶴は空を見上げ、ホッとため息をついた。
 どうりで寒いワケだ。
 ため息が白く漂って消える。
 学校、行きたくないなぁ。
 だが、自宅謹慎に処せられていた美鶴にサボりという選択肢はない。これ以上休めば、本当に進級が危ういかも。
 落第。それこそ同級生たちの嘲笑の的だ。
 少し眉間に皺を寄せ、今度は深く息を吐いて一歩を踏み出した。
 やっぱり、瑠駆真に会ってしまうのだろうか?
 気が重い。
 一昨日(おととい)は逃げるように帰ってきた。どこの駐車場だったのかもわからないのに、よく家まで辿り着けたものだ。我ながら感動した。
 感動でもしなければ、冷静にはなれなかった。
 昨日はほとんど放心状態で過ごした。携帯の電源も切った。ひょっとして霞流(かすばた)さんからメールでも来たら、なんて考えが頭を()ぎったが、そんな予定もないし理由もない。なにより霞流からのメールに心を躍らせられるような気分ではなかった。
 とにかく瑠駆真からの接触を絶ちたかった。
 今までだってメールも電話もほとんど無視をしていたが、今は無視をするのも億劫に感じられた。
 母は一日外出していた。誰もいない部屋。無音の空間。
 夕方にはさすがに気持ちも落ち着いてきた。
 昨日が日曜日でよかった。あんな状態で学校に行ったら、何かヘマでもやらかしかねない。授業中に質問されてとんでもない答えでもしようものなら、クラス中の嗤われ者だ。冗談じゃない。
 だが、日曜日を一日使って気持ちを落ち着けたとはいえ、まだ整理はできていない。気を緩めると思い出してしまう。
 思い出し、目を瞑る。思わず足を止めてしまう。
 何だったんだ? 小童谷(ひじや)も、瑠駆真も。
 酸欠で上気(じょうき)した瑠駆真の頬の色っぽさ。白い肌に紅色が美しかった。濡れた唇から吐息が漏れる。薄暗がりではっきりとしない視界の曖昧が、より一層艶っぽさを演出した。
 忘れようっ!
 激しく言い聞かせる。
 とにかく忘れるんだ。今は忘れるんだ。終わった事だ。無かった事にする。瑠駆真に何か言われたって、小童谷にほのめかされたって、何としても惚け通してやる。
 小童谷の意図? そんなもの知るか。知りたくもないっ!
 心内で言い聞かせているのに、なぜだか息があがってくる。
 忘れたい。無かった事にしたい。
 一心にそう思い、振り払うように再び足を動かした。ここはマンションの入り口だ。立ち止まっていれば、他の住人にも迷惑がかかる。管理人の視線もある。
 必死に現実を感じようとし、顔をあげて息を吸った。そうして、吐けなかった。
 目の前で、小さな瞳がこちらを見ている。笑うでもない。怒るでもない。ただ少しだけ虚ろな、何を考えているのかさっぱりわからない瞳が動いた。
(さとし)
 美鶴の言葉には答えもせず、聡は無言のままに手を突き出した。
「何?」
 携帯だ。画面をこちらへ向けている。
「何よ?」
 ワケがわからず眉を寄せる相手へ向かって、聡はただ一言。
「見ろ」
 命令口調が癪に障った。だが、そんな小さな抵抗などまったく受け付けないような気迫が、聡にはあった。
「何よ?」
 それでも気圧(けお)されまいと口を尖らせ、しぶしぶと携帯を受け取る。
 何だって言うのよ?
 チラリと画面に視線を投げる。そうして、そのまま固まった。
 最近の携帯は性能が良い。夜景でも綺麗に撮れる。さすがだ。夜の駐車場はそれほど明るくもないのに人物の判別まで正確にできる。出入り口に鎖が掛かっているので、車は一台も止まっていない。
 写真を見ただけでは、そこが駐車場であるという事も、出入り口に鎖が掛かっているという事もわからない。だが美鶴にはわかる。なぜならば、画面の中で抱き合ってキスをする男女の一人は瑠駆真で、もう一人は自分なのだから。
 声も出せずに絶句する美鶴の頭上に、怒りを押し殺したような声。
「どういう事だ」
 動けない美鶴の肩に、聡の両手がズシリと乗せられる。
「どういう事なんだ?」
 美鶴は危うく、携帯を落しそうになった。


------------ 第13章 夢と希望と未来 [ 完 ] ------------





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